
| ■第十一号■ 額田王(ぬかたのおおきみ) ◇ 山科御陵より退散(あらけまか)りし時、額田王の作れる歌一首 やすみしし わが大君の かしこきや 御陵(みはか)奉仕(つか)ふる 山科の 鏡の山に 夜はも 夜ことごと 昼はも 日のことごと 哭(ね)のみを 泣きつつありてや ももしきの 大宮人は 去(ゆ)き別 れなむ(巻三、一五五) ◇折口信夫博士の現代語訳を参照にすると、尊い天皇陛下の御陵を御造り申した、山科の鏡山で、夜は夜通し、昼は一日中、毎日毎晩泣きに泣いた末、御所の役人たちは、散り散りばらばらに、別れてしまはねばならぬか。それを思うと、寂しくてならない。 ◇私は、万葉集にある額田の歌で、この歌が一番好きである。 しかし、識者や文学者の間では評判は芳しくないようである。 ◇おおむね、彼らの言い分というのは、短歌でも足るものなのに、長歌にする必要があったのか、または、儀礼的な表現で終わっている……云々というものである。 ◇それはさておき、歌論についての学殖が乏しい私ではあるが、天智天皇が崩御されて、半年と経たぬうちに”壬申の乱”が起こったということを言いたいのである。 つまり、山科に御陵を造って、殯(もがり)の最中に内戦が勃発したということなのである。 殯というのは、天皇や貴人の死後、墓に葬るまでの間、棺を安置して魂の平安を祈る儀式をいう。 ◇だから、天智が亡くなって、役人たちは泣き暮れていたのだが(額田も含めて)、戦争が始まったので、ひとり二人とかり出されてゆく光景が、そこには描写されているのではないだろうか。 殯どころでは、なかったのではないか。 ◇そういう観点からこの長歌をみる時、やはり額田は優れた叙景歌人と言わねばならないのではないだろうか。そこには決して、儀礼的な、天皇の代作者としての、彼女の姿はなかったのではないか。 ◇天智の殯については、日本書紀には一切書かれていない。しかし、病を患って死んだと書かれている訳であるから、殯は行われたと私は思う。(天智の死については色んな説があるのだが……) ◇なぜ、額田王は、”神”になれなかったのだろうか。 彼女と同時代に活躍した柿本人麻呂は、その死後は”歌聖”となって、御霊を慰められたではないか。 時代はずっと下って、あの小野小町も”六歌仙”と奉られて、神になれたではないか。 ◇天智の死後、額田はそれほど幸福だったのだろうか。 彼女の晩節を顧みるとき、どうして幸せであったといえるだろう。 ◇額田にとって、天智と近江で過ごした歳月が、人生の中で最良の時節ではなかっただろうか。 ◇額田についての経歴は全然といっていいほど、詳らか(つまびらか)ではないのである。 しかし彼女が、大海人皇子(のちの天武天皇)との間にもうけた十市皇女(とおちのひめみこ・といちのひめみこ)の経歴を調べて行くと、朧気ながら、その姿が垣間見えてくるのである。 ◇十市は、天智の息子で太政大臣であった大友皇子の妃となり、葛野王(かどのおおきみ)をもうける。 しかし、そんな幸せも、天智の死後、吉野で挙兵した大海人皇子が、大友と皇位を争って、内戦を引き起こすのである。 これが”壬申の乱”である。 ◇十市は、自分の夫と父との諍いを、目の当たりにしなけらばならなかったのである。 ◇結局、軍配は大海人にあがり、大友は惨殺されてしまう。 その後、十市は大海人の庇護下に置かれ、泊瀬倉梯(くらはし)宮の斎王になるよう、天武天皇となった父に命じられるのである。斎王は,キリスト教でいう修道女のようなもので、神と契りを結ぶことによって、結婚も、男性との接触さえ禁じられていたようである。 ◇斎王に行くと決まったその前日に、十市は急死するのである。 病死とあるが、私は自殺したと思う。 ◇額田は、一年にも満たない間に、最愛の夫、愛娘、娘婿を失うのである。 ◇その後、天武は崩御し、その后であった”う野皇女”が皇位につく。持統天皇である。 ◇額田には、持統時代に弓削皇子との相聞歌がある。 弓削皇子は天武の第六皇子であった。 古に恋ふる鳥かもゆづる葉の御井の上より鳴き渡りゆく 古に恋ふらむ鳥はほととぎすけだしや鳴きし吾が思(も)へるごと ◇それから、しばらくして弓削は死ぬのである。 ◇額田は、その眸で見たであろう。 聞いたであろう、その双の耳で。 天武の死後に起こる、持統女帝による数々の”血の粛清”を。 ◇持統は、自分の孫の軽皇子(かるのみこ)を皇位につけたいがために、自らが天皇になり、天武の皇子たちを次々と葬って行くのである。 ◇そんなおぞましい光景を見せつけられて、女流歌人の胸は痛まないはずはないではないか。 ◇美しい声のほととぎすも、晩年には啼けなくなったようであった。 ◇やすみしし わが大君の かしこきや 御陵(みはか)奉仕(つか)ふる 山科の 鏡の山に 夜はも 夜ことごと 昼はも 日のことごと 哭(ね)のみを 泣きつつありてや ももしきの 大宮人は 去(ゆ)き別 れなむ ◇私は、額田王の生涯を顧みるとき、この歌が一番心に沁みるのである。 *参考文献:『折口信夫全集第四巻・口譚萬葉集(上)』(中公文庫版) |
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