■第十二号■ 鴈治郎の十八番(おはこ)

◇歌舞伎は面白くなければならないと思う。

◇冒頭から、歌舞伎界に対して、きついことを言うようであるが……、それはなぜかというと、歌舞伎は、これまでの日本の芸能の良いところ、面白いところを、切り取って(抜き取って)再構成するような形をとっているからである。

◇たとえば能・狂言からは物語と舞踊を、中国の京劇からは舞台での見せ場を、文楽からは物語を、限りなく借用しているのである。
それで面白くないはずはないのである。

◇そういう観点からいう時、歌舞伎は非常に日本的なものなのかも知れない。
と言うのは、これまでの日本の企業=経済活動のあり方に置き換えてみると、より明快になると思われる。

◇これまでの日本の企業は、優秀な自動車や家電を世界中に送り出しているけれども、どれをとっても、その根本となる元の発想は皆無なのである。(カラオケとウォークマンは別であるけれども……)
すべてコピーし、それに改良を加え、丈夫で長持ちの製品を商品化したものばかりなのである。

◇これからは、”智恵=創造性”が、もっと必要とされる時代なのではないだろうか。

◇だから、歌舞伎役者はもっと努力すべきだと思う。
梨園などといって、伝統芸能の上にあぐらをかいている場合ではないのではないだろうか。
あなた方の始祖と中興の祖は、もっとも大衆に愛された芸能者だったのだから。

◇だからと言って、すべての役者が”スーパー”な歌舞伎を、やれと言っている訳ではない。初代市川団十郎のような創意工夫が必要なのではないか。

◇歌舞伎を批判するようなことを書いておいて、三代目中村鴈治郎(成駒屋)の話をするのは、ちょっと気がひけるけれども……。

◇私はこの章を書くにあたって、成駒屋の系図を調べてみたのであるが、鴈治郎の祖となる人物は、初代中村歌右衛門(加賀屋)であることを知って少し驚いた。
歌右衛門といえば、ちゃきちゃきの江戸歌舞伎の役者だと思い込んでいたからである。
初代の歌右衛門は加賀・金沢の出で、寛政年間、旅役者から京・大坂に進出し、悪役で名を成したようである。

◇そして四代目が”翫雀(かんじゃく)”となり、時代が下って明治となって、その三代目翫雀の子が、初代中村鴈治郎になる訳である。

◇先月、現・三代目は国立劇場で『本朝二十四考』の八重垣姫を演じたようで、私はその舞台を観ていないのであるが、新聞の文化欄によれば、なかなか好演だったようである。

◇もう随分と昔のことになるが、私は三代目が主演した近松の『心中天網島』と『曾根崎心中』を、それと新派の『紙屋治兵衛』(北條秀司作)とを立て続けに観た。
もちろん、治兵衛と徳兵衛の役は鴈治郎だったが、まだ扇雀だった頃のことである。

◇近年の鴈治郎は、女形の役をやることが多いようである。

◇しかし私は、彼は、近松門左衛門の浄瑠璃に出てくる、人が良くて気の弱そうな手代や、粗忽(そこつ)な商家の旦那を演じさせたら、絶品ではないかと思うのである。

◇彼の演じる男たちの肩には憂愁が漂い、そのほつれた髪が垂れた蟀谷(こめかみ)には苦悩がにじみ出ているのである。

◇その苦悶の中で、鴈治郎の演ずる治兵衛は慌てふためき、徳兵衛は少年の初めてような恋を成就させようとするのである。

◇道行の前の場面、つまり心中を本当に決意する場面など、ややもすると大仰になりがちなところを、彼は表面的にはぐっと押さえて、その裡にはぎらぎらとした狂気を宿した芝居をするのである。

◇……悪所狂ひの。身の果ては。かくなりゆくと。定まりし。
釈迦の教へもあることか見たし憂き身の因果経。
明日は世情の言草(ことぐさ)に。紙屋治兵衛が心中と。
あだ名散り行く桜木に。根掘り葉掘りを絵草紙に……。(心中天網島より)

◇やはり上方の歌舞伎役者には、上方の作品がもっとも似合う。
近松の世話物こそ、三代目中村鴈治郎の”十八番(おはこ)”にすべきではないかと思うのである。(敬称略)


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