■第十四号■ 茶の湯・佐々木道譽

◇私の”道譽”という名前は、HN(ハンドルネーム=ニックネームのようなもの=)である。

◇なぜ、その名をつけたかと言うと、『太平記』に登場する佐々木道譽のファンだからである。
憧憬さえ持っているといっても過言ではない。

◇なぜ、私がそれほど道譽に強く惹きつけられるのかと言うと、彼は歴代中でも傑出した文化人=美の追求者であり、美のプロデューサー=であったと思うからである。
私は、政治家や武将としての道譽にはまったく興味は湧かないが、歌人であり、茶人、華道家、香道家で、近江猿楽のパトロンであった彼を語らないで日本の文化は理解できないと思うのである。

◇『太平記』の作者は僧侶のようなのだが、質素を旨とする僧が”婆娑羅(ばさら)大名”として派手にふる舞った彼のことを、良いように書くとは思えない。

◇だから、この章においては、そんな偏見ともいえる色眼鏡を通さずに、佐々木道譽という人物を、冷静に判断してみたいと思うのである。(無論、彼のファンである私が描くのであるから、多少点数が甘くなるのは避けられないことではあるのだが……。)


□1.道譽のこと。

◇道譽が婆娑羅大名といわれる所以のエピソードをひとつ挙げると、京・大原野の花の下で大々的に行った花見であろう。
太平記によれば、

◇本堂ノ庭ニ十囲ノ花木四本アリ、此ノ下ニ一丈余リノ鍮石ノ花瓶ヲ鋳懸ケテ、一双ノ華ニ作リナシ、其ノ交ニ両囲ノ香炉ヲ両ノ机ニ並ベテ、一斤ノ名香ヲ一度ニ焚キ上ゲタレバ、香風四方ニ散ジテ、人皆浮香世界ノ中ニ在ルガ如シ。

◇また、其陰ニ幔ヲ引、曲ろくヲ立双テ、百味ノ珍膳ヲ調ヘ、百服ノ本非ヲ飲テ、懸物如山積上タリ。

◇まったくスケールの桁違いの茶寄合を行ったのである。

◇『太平記』に描写されている道譽の華美ともいえる美的行動を顧みるとき、鎌倉幕府の最後の執権・北条高時の存在も大きかったのではなかろうか。
というのは、高時は、二度の蒙古来襲によって疲弊し、壊滅的な状況下にあった幕府をどうする術も持たず、日々”田楽”と”闘犬”に溺れて行ったさまを、『太平記』に書かれているけれども、彼にもやはり人一倍するどい美的感覚があったのではないかと想像するのである。

◇しかし、それはあまりに自棄的で、退廃的な耽美主義といわざる終えないものだったに違いないだろうが。

◇道譽は幼年の頃から、幕府に出仕していたようで、四歳年長の高時のお相手役を勤めていたらしい。
高時の覚えも良かったようで、二十歳にして、従五位下・佐渡守に任じられている。

◇高時が出家すると同じように、自らも発心したようである。
道譽の俗名は”高氏”であったが、出家後、法号の”道譽”を名乗ったようであった。

◇鎌倉幕府壊滅後の道譽の美的行動をかんがみるとき、高時の影響というのは少なからずあったのではないだろうか。(私はこの章を書いていて、北条高時のことをもっと調べてみたいという衝動に駈られている。)


□2.対極の美

◇鹿苑寺金閣、東大寺・金堂の鴟尾(しび)、日光東照宮、狩野永徳や琳派の金屏風に心ときめかなかった人はいないと思う。
どんな人物であっても、あの黄金のざわめきには、その目を奪われたはずだと思うのである。

◇日本の文化は、ひとつの権力が頂点に達したとき、あるいは、自閉的な隘路(あいろ)に迷い込んだとき、”絢爛”として”豪華”な、有無を言わせぬような美術品・芸術品がまるで推し量ったように出現するのではないか。
琳派芸術は別にして、それは政治と深く結びついて出来上がったものであり、その権力を誇示する道具として登場するのである。

◇これまでの日本の文芸は、”絢爛豪華・栄耀栄華”と”侘び・寂び”とのせめぎ合いではなかっただろうか。
一方が隆盛をみるとき、もう片方は逼塞するように沈潜するのではないか。
室町将軍・足利義満のアンチテーゼとして、一休宗純の思想が生まれ、それが千利休の茶道へと発展して行ったのではなかったろうか。

◇また逆に、”侘び寂び”がひとつの完成をみようとするとき、織田信長の安土城のごとく、栄耀栄華の極致のような城塞が創造されたのではなかっただろうか。(近年の調査・研究によると、安土城にも”黄金の茶室”が存在していたということである。)

◇信長こそ、婆娑羅大名の極みだと思える。そして、おそらく彼の憧憬の対象として、足利義満・義政、佐々木道譽の存在があったのではないだろうか。(余談ではあるが私には、豊臣秀吉が行った文化的な行為は、信長のコピーでしかなかったと思うのである。)


□3.茶の湯

◇本来の日本の茶の湯というものは、禅宗寺院の”四頭の茶礼”は別にして、現代のように作法や所作だけのものではなく、ひとつの遊芸であって、もっと遊び心を持っていたものだったと思われる。

◇利休のように”道”を極めるのも、日本人の特性であるから、私は、それはそれで否定はしない。

◇しかしながら、利休はそれを極端に追求し過ぎたのではないか。

◇というのは、彼の茶で、二畳の茶室に、客三名を招き、茶をふるまうという行為に、私は到底”美”を見出すことなど出来ないのである。

◇なぜ、そんな狭い空間で、亭主を入れて四名の人間がひしめいて、茶会をせねばならないのか。

◇客同士の肘や肩がぶつかり、息さえもかかるほどに、まるで緊縛されたような状態で、茶を賞味しなければならないのだろうか。
そこに”美”など、あろうはずがないではないか。
それが”侘び数寄”なのだろうか。
私には、利休の茶は隘路に迷い込んだようしか見えないのである。
それならばいっそ、禅寺の茶礼に回帰した方が健全ではないだろうか。

◇利休の茶は、一休の”茶禅一如”や”能禅一味”という、禅を主体とする思想を忠実に守ったが故に、そのようなものが出来上がったのであろうが、あまりに行き過ぎてはいないか。

◇といって、私は古田織部の茶を支持する気にはなれない。
彼の茶もまた、利休の亜流にしか見えないからである。それは、”町人の茶”が”武士の茶”に姿を変えたものでしかないのではないだろうか。
根本たる作法や儀礼は、何ら変革されていないようである。


□4.歌と茶

◇一般に、道譽の茶については”闘茶”が有名である。

◇闘茶とは、本茶・非茶を判別するという茶会のことである。つまり、その当時、栂尾(とがのお・京都市北部)の茶が最高級品といわれていて、いくつかの茶(別々の産地の)を飲み較べて、栂尾のそれを当てるという”博打茶”だったようである。

◇その賭博によって、贅をつくした懸物が山と積まれ、数千万貫の金額が動いたという。

◇しかし私は、彼の茶はそれだけではないと思うのである。
それは、連歌が重要な意味を持つと思われる。

◇道譽のすごいところは、歌と茶の湯を結びつけたということだと思うのである。

◇日本の文化は、まず最初に歌ありき、なのである。
けだし、これは名言であると思う。
この言説を唱えられたのは、哲学者の梅原猛氏である。

◇以下に記すことは、いつもの私の想像であり、仮説である。
迷論と一笑に付されるかもしれない。
言い訳ではないが、道譽に関しての文献や史料(資料)は、まったくといってよいほど現存していないからである。
だから、そのことを心に留め置いて、読み進んでいただきたいと思う。

◇道譽の茶の具体的なイメージを述べるとすれば、このようなものになるのではないだろうか。

◇それは彼が、京・京極高辻の邸第の会所に華麗に四季の花を飾り、宋代の花鳥画か王義之の書の屏風を装い、香を焚き、唐物の茶碗=宋か元あたりの=で客に茶をふるまい、連歌を詠んだのではないだろうか。(道譽の別名が”京極道譽”と呼ばれる所以は、それに起因している。)

◇そして庭には、やはりその当時、舶来品であった孔雀が、絢爛とした銀色と緑色の羽をひろげて放たれていたのではないだろうか。

◇そして、その時期、連歌の主流をなしていた関白・二条良基や連歌師・救済(ぐさい)をも自邸に招き、”百味の珍膳”に舌鼓を打ち、喫茶し、あるいは飲酒し、歌を連ねたのではないだろうか。

◇それは、”侘び寂び”に対極するものであって、無論作法などなかったであろう。しかし、それが遊芸としての”茶”の本来の姿なのではないだろうか。
スケールこそ違え、その後の足利義満に、多大な影響を与えたのではなかったか。

◇道譽がそんな派手な茶寄合を行ったのは、平安朝末期の後白河法皇に憧れを抱いていたからではなかったろうか。
つまり、法皇が御所の会所に、白拍子や俳優(わざおぎ)を引き入れて、今様を歌ったように、道譽は連歌を詠んだのではないだろうか。

◇勿論、その当時の連歌は、『梁塵秘抄(今様)』のように宗教的な色合いは皆無である。

◇歌があっての茶であり、花なのではないだろうか。歌が”主”であり、茶が”従”ではなかったろうか。

◇日本の文化は、まず最初に歌ありきではないか。

◇婆娑羅大名の面目躍如といったところだったのだろう。

◇その時代、身分の上下にかかわらず、連歌が大流行していたようである。(一説によると、闘茶と同様に、”勝負連歌”といって賭事としての歌も、アンダー・グラウンドで行われていたようである。)

◇その後、良基と救済が編纂した連歌集『菟玖波集(つくばしゅう)』は、室町幕府の宿老となった道譽の奏請で、勅撰集に准ぜられたのである。(道譽の作品は八十一句、良基のは八十七句入っている。)

◇結局、彼は、そんな王朝的な茶寄合にもいつしか飽きて、”闘茶”に走ったのではなかろうか。

◇定めなき 世をうき鳥の 身隠れて 
下安からぬ 思ひなりけり(佐渡判官道譽・新続古今和歌集)

◇いろいろ反論はあるとは思うけれども、私は、佐々木道譽こそ大茶人だったのではないかと想像するのである。


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