■第十六号■ 尾形光琳『燕子花図屏風』

◇これまで、本誌を通読していただいている読者の方々には、ご理解してもらえると思うのであるが、私は琳派の絵画が好きである。

◇琳派絵画こそ、より日本的なものであると感応するからである。

◇中世に発達した水墨画=明兆、雪舟、古狩野、等伯など=の作品群も決して嫌いではないのだが、あからさまに中国的なものもあって、今ひとつ感情移入することが出来ないのである。

◇尾形光琳・乾山兄弟は、京都の裕福な呉服商『雁金屋』に生まれた。雁金屋は、徳川二代将軍秀忠の夫人の御用達であり、また秀忠の娘が後水尾天皇の女御として入内すると、東福門院御用達となり、格式の高い商家になったようであった。

◇本阿弥光悦と尾形兄弟のつながりは、彼らの曽祖父の道柏が、光悦の姉を妻に迎えてから始まったようである。

◇光琳・乾山の父親の宗謙という人が、なかなか風流な人だったようで、雁金屋を長兄・藤三郎に継がせると、家屋敷と金銀の他に、光琳には能の道具一式を、乾山には書籍と印月江の墨跡を譲ったようであった。

◇よくよく考えてみると、琳派ほど不思議な流派はないと思われる。
というのは、純然たる徒弟制度から、琳派芸術が継承されたことはないのではないだろうか。(酒井抱一・鈴木其一師弟ぐらいだろうか……。)

◇流派が消滅しそうになると、いつの間にか系譜を嗣ぐ者があらわれ、それが現在にまで継続しているのではないだろうか。
狩野派のように御用絵師として、その家の者が、家業を受け継ぐというのではなく、まるで飛び火するように伝承する者が出現するのではないか。

◇光悦と光琳が親戚だということを先ほど述べたが、光琳は直弟子ではなかった訳であるし、絵師になる気は毛頭なかったようである。放蕩のかぎりを尽くしたのと、頼るべき実家の商いが傾いたので、仕方なく絵を描いたというのが真相のようである。

◇酒井抱一にしてもそうで、大々名の次男で、江戸・吉原を逍遙する風流人だった彼は、侍が厭になって辞めたが、そうそう生家に頼ってばかりもおられず、やむなく潤筆料を得たようであった。

◇深江芦舟にしても、光琳に画を習ったようであるが、琳派の系図を調べてみても彼の名はどこにもないのである。
芦舟は京都銀座年寄筆頭役の子として生まれたようで、何らかの事件に巻き込まれて一家が没落したようであった。その後、独学に近い形で腕を磨き、『蔦の細道図屏風』などの名品を残したようである。

◇それは現在も続いていて、抱一や其一と何ら関係のない加山又造や石踊達哉に受け継がれているのである。(よく知らないのだが、加山と石踊は師弟の間柄ではないはずである。)

◇たしかに琳派芸術が生み出されるまでには、幾多の歴史の積み重ねがあったのも事実である。
絵巻物にはじまって、大和絵、水墨画、それに仏教画・漢画などの影響があったからこそ、琳派は誕生したのである。

◇それは絵画だけでなく、日本古来からある『源氏』や『宇津保』の物語性や、『鳥獣人物戯画』や『信貴山縁起絵巻』のウイットや、能の『芭蕉』や『杜若』にみられるような、人間ではない化身の演劇という”飛躍性”を基盤として、自由自在に花開いたものではないだろうか。
そこには雅や幽玄さを含めて、日本人独特の潜在的な美意識が加味されたと言わざるおえないと思う。

◇去年の夏のはじめ、私は青山にある根津美術館に行った。
尾形光琳の『燕子花図屏風』(国宝)が出展されていたからである。
私は、その作品を眺めていて、どうしてこうも日本人の心をとらえて離さないのか、いまだに不可思議である。
その六曲一双の金屏風と対面していると、奇妙に心が落ち着くのは、私だけであろうか。

◇私は心理学者でも何でもないが、それは神社に行って、神殿に向かって参拝するのと同じ行為ではないか。

◇『燕子花図屏風』を観賞するということは、心理的に日常の行為ではなく、非日常のことなのではないだろうか。

◇京都の祇園祭でもわかるように、あの時節四条室町あたりの家々に、屏風が飾られるのは居間ではなく客間のはずである。
それは”褻(ケ)”ではなく、”晴(ハレ)”の行為ではないか。

◇『燕子花図屏風』をじっと見つめていると、黄金色に輝く池に、イメージとしてそこにある八橋に腰をかがめて、群生した花々のつい隣にいるという錯覚を憶えてしまう。
それは決して俯瞰ではなく、『傍観』なのである。

◇他の琳派の、俵屋宗達の『風神雷神図屏風』や酒井抱一の『夏秋草図屏風』でも似たような感覚を起こさせる。
限りなく黒に近い雲海の中に身を置いて風神と雷神を、驟雨に濡れそぼった野草を踏みわけたすぐ向こうを、観る者は静かに眺めているのである。
そこには、絵画と観る者との同化があるのではないか。

◇かと言って、燕子花にせよ、風神雷神にせよ、野草にせよ、鑑賞者が簡単に手で触れることなど絶対に出来ない。
画面にある気品と香気と雅致によって、他者を峻拒してしまうのである。

◇親しみやすいのに、近寄りがたいといったところだろうか……。
尾形琳派の、『燕子花図屏風』の魅力は、そこにあるのではないだろうか。

◇琳派について、私はもう一つ不思議に思っていることがある。
それは、なぜ女性の琳派作家が出てこないのかということである。
系譜を辿ればわかることなのであるが、すべて男性が継承しているのである。

◇琳派こそ、もっとも女性に好まれる画風だと考えるのであるが、光悦・宗達以来、皆無なのである。(私の不勉強で、実際にはいるのかも知れないのだが
……。)
来世紀は、女流の琳派作家が活躍しているかもしれない。(敬称略)

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