| ■第十九号■ 奈良三彩 ◇私がはじめて奈良三彩にふれたのは、それはもうずいぶん昔のことであるが、正倉院展に行った時であった。 ◇ガラスケースに納められたその彩釉陶器は、実際には”二彩”(緑と地肌の白の二色だった)の鉢であった。 貫入もなく、まるで赤ん坊のように、すべすべした肌を持ち、鮮やかな緑色の釉は、滝の白糸のごとく、流麗にその紋様を、口縁から胴にかけて染めつけられていたのであった。 ◇貫入というのは、陶器が窯の中で、その温度に耐えきれず、ひび割れを起こす現象のことをいうようである。 ◇三彩は、主成分の鉛と石英に、わずかな銅か鉄を呈色剤として加えると、緑または黄(褐色)が発色しするそうである。呈色剤を加えないと、無色透明な素地があらわれ、これが白釉になるそうである。 ◇以前、本誌で『土と火焔と』という章において、清水卯一氏のことを書いたけれども、あの時から、私の心の片隅に奈良で見た、正倉院三彩の鮮烈な緑釉がずっと離れなかったのである。 ◇陶芸の良さを理解するには、ある程度の年齢が必要なのではないか。(それは、私だけに当てはまる事柄なのかもしれないけれども……。) ◇正倉院展を観た当時の私は、三彩の派手ともいえる緑・黄・白という三色のコンビネーションに、少しばかりの嫌悪感があったのも事実である。しかし、齢を重ねて、冷静にふり返ってみると、あの斬新な配色は、あの時代の精華であったと言わざるおえないのではないか。 ◇その時代、東アジアにおいて最先進国であった唐(中国)に、憧憬を抱いた奈良朝の人々が、彼の国に追いつこうと情熱をそそぎ込んで作った陶器が、あの正倉院三彩ではなかっただろうか。 ◇正倉院三彩については、日本で作られたものであるというのと、唐から直接輸入されたものであるという、二つの説があるようである。 ◇プロの作陶家によれば、カオリン単味素地という粘土資源は日本には絶対ないそうである。その土がなければ、あの三彩特有の美しい緑色は出ないという。 ◇私は技術論に関してはまったく疎いし、本誌は、”日本の美”についてのエッセイ集であるから、正倉院三彩が日本で作られたという前提に立って話を進めて行きたいと思う。 ◇先週号のJ*美リポートで紹介した『日本列島60万年=考古遺物でつづる歴史絵巻=』展を観て、あらためて思ったのは、われわれの祖先は古代から(特に古墳時代から)優れた陶器を創造していたのである。物真似に長けた日本人の特性を考えれば、三彩は国産でも可能だったのではないだろうか。 ◇それに、全国津々浦々で出土する三彩陶器を、どのように説明すれば良いのだろうか。昭和初年に、川崎市登戸近辺で発見された三彩壺(火葬蔵骨壺・重文)は、それまでの技術の集約がそこに表出しているのではないだろうか。 ◇近年、奈良県・北部の丘陵地に三彩を作ったであろう、窯跡が発見されたという。カオリン単味素地という粘土資源は、遣唐船で輸入すれば手に入ったのではないか。 ◇唐三彩と正倉院三彩では、その使われ方がまったく異なるのではないだろうか。 中国では周知のように、墳墓に埋葬する土偶としての性格が強いようで(そればかりではないが)、だから馬などの動物や、婦人像が多く、逆に正倉院のものは、仏教儀式に使われたようである。 ◇悲しいかな、技術論が伴わない論拠ほど、説得力に欠けるものはないのである。 ◇感性だけで、この章を述べてしまったけれども、私は正倉院三彩は、やはり日本で作られたと思うのである。 ◇話はちょっとそれるのであるが、人間国宝の陶芸家・加藤卓男氏による『正倉院三彩・鼓胴』の復元は、氏のたゆまざる努力と、あらん限りの情熱が、あの事業を成功させたのであろう。 ◇鼓胴というのは唐楽に用いられる細腰鼓のことである。 加藤氏の作品は、裾広がりの同形の筒を接合して成形したもので、白釉を鹿の子絞りのような状態に散らし、それらに沿わせるように黄釉の十字形をいくつも配し、全面に緑釉を施したものなのである。 ◇私は実物を見たことはないのであるが、その出来映えの精巧さに、大袈裟ではなく息を飲んだのである。それほど蠱惑的なものであったのである。 ◇いま、奈良三彩こそ、もっとも古くて、もっとも新しい施釉陶器ではないかと私は考えるのである。 |
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| □J*美リポート□ ◇今週はちょっと趣向を変えまして、興味深い書籍がありましたので、それを紹介しようと思います。 ◇新刊ではないのですが、昨年の十一月に再版されたようです。 その本は、折口信夫著『日本芸能史六講』(講談社学術文庫)です。 ◇いつも思うのですが、この方は視点が斬新ですね。 ”目から鱗が落ちる”という言葉がありますが、折口博士の著書を読むとそのたびに感じるところです。 ◇その著書を端的に言いますと、わが国の芸能の源泉に民族学を導入して、考察したというものです。 ◇古事記に須佐之男命が乱暴をして、それを怒った天照大神が天窟戸(あめのいわやど)にお籠もりになるという有名な場面があります。博士の説によりますと、それは、光も音もない世界に籠もることによって、霊魂が完全に身につくと信じられていたからだそうです。 ◇これは別の本で知ったのですが、中古から室町時代あたりにかけて、高貴な女性は思い悩んだ時に、お寺に籠もったということを読んだことがあります。 つまり”参籠”ということで、彼女らは何日間も飲まず食わずで、お籠もりをしてうたた寝をし、そして夢を見、そのお告げによって自分の行く末を占ったようです。 ◇これは私の考えですが、”籠もる”ということは、”蘇生”でもあったのではないでしょうか。 ◇能において、塚のような作り物や釣鐘を舞台に登場させ、その中に人が入っている間に神聖な資格が付いて再現するというのがありますが、博士の言説によれば、それも”お籠もり”だと述べられています。 ◇また、”反閇(へんばい)”にもふれられていて、それは貴人の出行などの時、陰陽師の行なった呪法で、特殊な足の踏み方をいうそうです。邪気を払い正気を迎え、幸福になるようにと行われたようです。また別に、神楽などの芸能に見られる呪術的な足づかいの意味もあるそうです。 ◇天窟戸におかくれになった天照大神を、何とか連れ戻そうと、天宇受売命(あめのうずめのみこと)が舞を舞うわけですが、彼女が大地を踏みとどろかせて舞うという行為は、地中に眠る魂が目覚めて、その近くにおられる神のご神体の中に送るという意味があるそうです。 ◇また、大地を踏みつけることによって、悪しき魂を封じ込める(悪霊を放逐する)という意味も含まれているのだそうです。 ◇ですから、能や歌舞伎舞踊において、足拍子というのはそういった意味合いがあるのだそうです。 もっとも身近な例が、『道成寺』の乱拍子だということです。 ◇それに、能舞台の下に甕(かめ)を置いて、より反響するようにと工夫されていますけれども、あれもその意味が含まれているのだそうです。 ◇日本の芸能史と民族学に興味のある方はぜひ、オススメです。(譽) ◇『日本芸能史六講』 折口信夫著 講談社学術文庫 ¥620−(税別) |
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