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■第二十号■ 山口華楊『黒豹』

◇私は、日本画家・山口華楊の代表作は二点あると思っている。
それは、戦前に描かれた『洋犬図』と、昭和29(1954)年に制作された『黒豹』なのである。

◇こういう書き方をすると、他の作品群が駄目なように誤解されるかもしれないが、決してそうではなく、上述した二作品がもっとも華楊の特色がよく出ていると感じるからである。

◇というのは、『洋犬図』ではロシアのボルゾイ犬を、『黒豹』はその題名の通り真っ黒の豹が描かれているのである。つまり、それらの動物は日本に棲息しているものではなく、すべて外国産なのである。

◇華楊は動物画を得意としていたが、それまでの日本画家とは異なる駱駝、ライオン、七面鳥、豹、洋犬などを描いたのであった。

◇それでも、それらは純然たる日本画なのである。

◇昨年の初春、私は銀座にあるデパートへ行った。
山口華楊の生誕100年を記念した回顧展が催されていたからである。

◇華楊の『黒豹』が面白いと思うのは、描かれたその視点なのである。
それはなぜかと言うと、観る側が二頭の豹を”俯瞰”している状態なのである。真上に近い斜め上から、それらを覗いているという体なのである。

◇あくまで豹の肢体はしなやかであり、獲物を狙っている時のようにその金色の眸を輝かせているのである。画面左側の豹は足音を忍ばせて、観る側に迫ってき、もう片方は寝そべったまま睥睨しているのであった。

◇大抵の動物画や花鳥画は、対象物を真横か正面から観た姿を描かれているものが多いと思う。斬新とまでは言えないが、そんな視点のズレが、画面に緊張感をもたらしていると思われる。

◇京都芸術短期大学の藤氏という方が、生前の華楊に逢って、『黒豹』について、動物園の木に登って写生されたのですかと冗談ぽく訊いたところ、彼は、そうではなく、粘土で豹の模型を作って、それを何度もスケッチし、それから平面に起こしたと答えたという。無論、それまでに何度も動物園に足を運んで、豹の動きを徹底的に描き、頭に叩き込んだそうである。

◇華楊は、明治32(1899)年に京都に生まれ、家業は友禅の彩色を生業にしていたようである。十二の歳に、やはり動物画を得意にしていた西村五雲に入門し、それから京都市立絵画専門学校に入学し、写生派の祖といわれる円山応挙の流れをくむ円山・四条派の画風を習得したようであった。

◇その学校では同級に玉城末一、中村大三郎が、一年上に福田平八郎、二年上に徳岡神泉らがいたという。

◇華楊は弱冠十七歳にして、『日午』が文展で初入選をし、話題になったという。その後、竹内栖鳳の主宰する『竹杖会』にも参加したようである。

◇京都という風土が、華楊を産み出したといっても過言ではないであろう。

◇生前の彼は、写生の虫だったようである。
だから、写生画と花鳥画を研究・研鑽しつくした末の、『黒豹』であり『洋犬図』ではなかっただろうか。

◇古来からの花鳥画だけに留まらず、新しいものを求めて、上述したような動物画へ傾倒して行ったのではないだろうか。

◇華楊は、昭和59(1984)年に肝臓癌による心不全のため逝去した。享年八十四歳だった。

◇俳聖の松尾芭蕉は、”不易流行”を説いたという。

◇俳諧において”不易”というのは、芭蕉の言葉によれば、詩的生命の永遠性を言ったようで、”流行”は流転の相を意味し、その時代時代の新風の体を述べたようである。つまり、その二体は風雅の極致から出るものであるから、根本においては同一のものであるということを芭蕉は言いたかったようである。

◇山口華楊の遺した『黒豹』こそ、日本画における”不易流行”なものではないかと私は思うのである。





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