■第二十三号■ 菱田春草『落葉』

◇日本画家・菱田春草には、『武蔵野』という佳品がある。
武蔵野の原っぱに秋の野草が一面に生い茂り、いましも夕陽が落ちようとしていて、そのはるか向こうに富士の山が朧気ながら見えているという図なのである。

◇それは、琳派の酒井抱一の『夏秋草図屏風』の影響を色濃く受けながら、自然主義的な風景画なのである。

◇私はその作品を、一昨年の春、上野の博物館で催された『近代日本美術の軌跡=日本美術院100周年記念特別展=』ではじめて観たのであった。
その展覧会は、『院展』として現在も続いている日本美術院の歩みを名品とともに回顧するというものであった。

◇春草の作品の多くは、”朦朧体(もうろうたい)”や”縹緲体(しょうびょうたい)”といわれる輪郭線を描かずに、色彩の連続性によって表現するという、明治期の手法を用いて、描かれている。

◇朦朧体や縹緲体は、その当時、評論家やマスコミに、ぼんやりしていてはっきりとしない、と揶揄され、酷評されたようであった。

◇しかし、その技法は、まったく新しいものかといえば、決してそうではなく、尾形光琳の『燕子花図屏風』(国宝)も輪郭線は描かれてはおらず、さらにそれを一歩進めて色彩の濃淡によって描いたのものなのである。

◇生前から、春草の絵画については、激しすぎる毀誉褒貶がついて回ったようであった。

◇彼は真実を描きたいという志向と、西洋の印象派のような「空気」を取り入れたかったがために、そのような日本画を描いたようであった。

◇これは私の想像なのであるが、春草は深山幽谷の霞や霧のようなものを、水墨画ではなく、着色したもので描きたかったのではなかろうか。

◇村松梢風の『本朝画人傳』によれば、岡倉天心は、「菱田春草は絵かきになれ、横山大観は政治家になれ」と言ったそうである。春草は生まれながらの画家であり、大観は絵画以外の世界で活躍しそうだったので、そのように言ったようであった。ふたりの人物や性格に大きな違いがあって面白い。

◇私は横山大観より菱田春草に、狩野芳崖より橋本雅邦に、寺崎広業より下村観山に、前田青邨より安田靫彦に心惹かれるのである。

◇春草の『落葉』(重文)も、上述した朦朧体で描かれているのであるが、等伯や狩野派の障壁画などと違うのは画面に奥行きがあるということである。

◇六曲一双の画面には、櫟(くぬぎ)などの樹木が二十本描かれていて、地面には堆く落葉があるかのように見えるのであるが、実際にはそれらが細かく描かれている訳ではなく、彩色の具合によって、観る側が勝手にイメージしてしまうのである。

◇画面には理知的な静けさがあり、そして深遠であり、従来の日本画では決して描かれなかった題材であり、琳派をも超える作品だといっても過言ではない。

◇西洋の印象派のような画材でありながら、その色調も、その画風も、紛れもなく純然たる日本画なのである。

◇春草が文展において、その『落葉』を発表した当初は、今琳派と賞された反面、一部の保守的な批評家から、これは日本画ではないと酷評されたようであった。

◇その理由は、洋画かぶれだというものであったらしい。

◇そんな極論があったにもかかわらず、『落葉』は文展において最高位の二等第一席を受賞したのであった。

◇春草は明治七(1874)年長野県飯田に生まれた。
彼は、天才と謳われた芸術家によくある、幼少の頃から画才を遺憾なく発揮したというタイプではなく、東京美術学校(現東京芸大)に入学してから、その才能を開花させたようであった。(それは横山大観にも当てはまる事柄だったようである。)

◇少年期から絵を描くことは好きだったようで、まだその頃には、天賦の才は彼の裡に潜伏したままだったようである。

◇春草の生涯を一口でいえば、多くの芸術家がそうであったように、貧困との格闘であった。

◇もっとも忌むべきことは、春草が失明したということであろう。

◇画家が光を失うというのは、”死”を宣告されたも同然ではないか。否、そんな平板な言葉で同情すべきではないのかも知れない。他人が、画家の苦悩の深さを理解などできるはずはないのだから。

◇彼は一時期、腎臓を悪くして、失明の危機にあったのであるが、何とか本復して、画業に復帰できたのであった。しかし、死の一年前に、また再発して、すべての光を奪われたのであった。

◇春草は、明治四十四(1911)年、三十八歳という若さでこの世を去った。

◇たった十五、六年の画業生活(プロとして)にもかかわらず、彼は、琳派をも超える画境にまで到達したのである。

◇私は菱田春草の『落葉』を観るたびに、天才と早世は同義語なのか、とつくづく考えてえてしまうのである。



□J*美リポート□

◇今週も書評です。
その書籍は、松本章男著『京 花の道を歩く』(集英社新書)です。

◇私は、その著者の本は初めて読んだのですが、京都市に生まれて、現在も在住されている随筆家だそうです。京都を題材としたエッセイを何冊も出版されているようです。

◇その本は、京都を彩る四季折々の花々と、それにまつわる歌とともに各章にわけて書かれたエッセイ集です。

◇その本を読んでいて懐かしく思ったのは、上賀茂の大田神社の杜若の章のところでした。
上賀茂神社の摂社に大田神社というのがあって、その社の前は池になっていて、その季節になるとあの高貴な色合いの花々を咲かせるのです。それはまさに六曲一双の屏風絵のような風情なんです。

◇摂社というのは、本社に付属し、本社に縁故の深い神をまつった神社のことを言います。

◇私がはじめてその社を訪れたのは、もうかれこれ二十年ほど前のことになります。ちょっと自慢話になってしまうのですが、その当時は、大田神社のことを知っている人は非常に少なくて、地元の人に知られているぐらいでした。

◇今ではガイドブックにも載っているようです。もし、その季節、京都に旅行される予定がありましたら、一度観に行かれたら良いと思います。なかなか風雅な趣があります。

◇この本を読んでいると、京都に帰りたくなりました。

◇京都の花と、それにまつわる歌に興味のある方はぜひ、
オススメです。(譽)

◇『京 花の道を歩く』 松本章男著
集英社新書 ¥680−(税別)



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