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■第二十四号■ 建築家・吉田五十八

◇”五十八”と書いて、”いそや”と読む。

◇本当かどうか疑わしいのであるが、五十八の父親が、五十八歳のときの子供だったので、そんな名前がつけられたという。

◇東京・成城の閑静な住宅街に、故・猪俣猛氏邸がある。
ゆうに五百坪を超す広大な敷地に、高い生け垣があり、木造平屋建の贅沢な造りの家屋があって、まさに高級邸宅といった趣なのである。

◇私が初めてその御屋敷(そんな言葉がぴったり当てはまる)を見たとき、そこはきっと料亭か、茶道の家元の住居か何かだろうと決めつけていた。

◇猪俣猛という人物は、(財)労務行政研究所の理事長を勤めておられたようである。

◇パンフレットによれば、猛氏の長男の猪俣靖氏が、その邸宅を貴重な文化財として末永く残したいという意向から、平成八年に(財)せたがやトラスト協会と保全協定地契約を結び、平成十年に世田谷区に寄贈、その後、協会の管理運営により一般公開が始まったようである。

◇その家屋は、建築家の故・吉田五十八の設計によるものである。

◇五十八は、古くは大阪万博の松下館、岸信介元総理邸、五島美術館、銀座の料亭『吉兆』、京都・岡崎の料亭『つる屋』(増築分)などを設計した数寄屋建築の第一人者だったのである。

◇私の茶の湯についての持論は『会所の茶』であるから、そういった千利休好みといえる数寄屋建築については、本誌において取り上げるべきではないのかも知れない。

◇『太平記』に出てくる佐々木道譽の書院のごとく、中国・宋代の応天府、嶽麓書院などのような部屋で喫茶したであろうからで、つまり道譽の頃から、書院造りのような客用の主座敷が主体となっていたと考えられるからである。

◇しかしながら、私の嗜好と観念は別にして、日本の美と建築様式という大きなカテゴリーにおいては、数寄屋建築は取り上げざるおえないテーマであるので、今週は吉田五十八を取り上げたのである。

◇それに彼は数寄屋建築だけにとどまらず、奈良・飛鳥の”中宮寺”も設計しているので、私が書きたいと思った動機にもなった。

◇中宮寺は高松宮妃殿下の御発願によって、昭和四十三年に建立されたようである。

◇私がはじめて、その寺を訪れたとき、コンクリートの建造物に寒々とした感情を抱き、新興宗教の講堂かと見紛ったほどであった。
つい隣が、あの法隆寺の夢殿なのである。

◇しかし、よくよく聞いてみると中宮寺はたびたびの火災に見舞われ、何度も焼失しているので、耐火性の強いそんな造作になったようであった。

◇それに帰京してみて気づいたのであるが、藤原時代の寝殿伽藍を忠実に模倣し、池のまわりに山吹を植え、その他にも尼寺らしくいくつもの花々を植樹されているのである。

◇ここで、日本建築の特色である”数寄屋造り”と”書院造り”を簡単に説明しておきたいと思う。

◇数寄屋造りは、室町時代末期に茶の湯が流行し、茶室を雅に数寄屋と呼び、その後、茶に関係なく茶室風の建物はすべて数寄屋造りとか、数寄屋建築と呼称されるようになったようである。

◇また書院造りは、平安時代の寝殿造りを改良したもので、主座敷を上段とし、床、棚、付書院の構えのある住宅様式をいう。障子や襖で仕切り、畳がしかれている。

◇もっとも有名なものといえば、桂離宮、二条城の黒書院や西本願寺の白書院である。

◇五十八は若い頃、欧州を旅し、むこうの建造物を見て回ったようであるが、帰国後は日本の建築の良さを再認識し、二度と欧風建築は設計しないと誓ったという。そして新たな数寄屋建築を目指したそうである。

◇話を猪俣邸に戻そう。
私は、そこへ行って知ったのであるが、関東という所はスギ苔が育ちにくい風土なのだという。

◇そういえば、以前鎌倉へよく遊びに行ったが、苔生す庭のある寺院を観た記憶はなかったような気がする。

◇その庭園の所々には剥げた部分はあったが、確かにスギ苔は根を張っていたのである。

◇私が拝観したときは晩秋だったので、あいにく花を鑑賞することは出来なかったが、庭には利休七選花のひとつといわれる”白雲木”をはじめとして、千種類の植物が植えてあるということだった。

◇庭の東側に、数寄屋建築特有ともいえる天井の低い、極力採光を抑えた寂びた風情の四畳半の茶室があった。ただ躙り口(にじりぐち)は現代人にあわせて、大きめにつくってあった。

◇その茶室へは、玄関からも、室内からも行けるようになっていて、居間からは左に四十五度の方向に、能舞台の橋掛りのような、細い廊下が造られてあった。つまり居間からもその茶室が眺望できるように設計されているのである。

◇西側には、十畳ほどの書斎があり、その奥に”一畳台目”と呼ばれる侘び茶の顕現のような狭い茶室があった。故人がごく親しい人だけを招いて、そこで茶をふるまったと思われる。

◇それに坪庭が二つあって、その一つには石灯籠が置いてあり、細い桜の木が植えてあった。それらに面する部屋は居住空間であるから、室内の採光と通風を考慮されているようである。

◇猪俣邸の特徴はその屋根にあるという。百坪を有する延床面積の建物であるから、建端の高い屋根になるところを、二つの中庭を配置することによって、小さな屋根を集めるという手法が採られたそうである。

◇これほど凝った茶室を造られた猪俣氏であるから、さぞ名品といわれる茶道具を所持されていたと思うのだが、それらを記すものも、展示もなかったのが少し残念であった。

◇今回、この章を書くに当たって、色々な建築関係の書籍を乱読したのであるが、あらためて日本の文化は奥が深いと感じた。

◇なぜなら、建築の書籍だけでは事足りず、茶の湯、作庭、立花などの造詣がなければ、到底なし得ないのである。それだけにとどまらず、歌、陶芸、書画などを必要とされるのは言うまでもない。

◇外観だけ、それらしきものを造形するのは簡単なことだろうが、それに”心”を移入しなければ、日本の建築は成立しないのである。

◇五十八は昭和四十九年逝去した。享年七十九歳だった。

◇私は、吉田五十八こそ、近代数寄屋建築の最先端を行った芸術家ではなかったかと思うのである。
             
◇猪俣庭園 世田谷区成城5−12−19(入場無料) 月曜休園
お問い合わせは、(財)せたがやトラスト協会
TEL(03)3789−6111

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