■第四号■ 市川団十郎と江戸歌舞伎

◇もう十年以上前になると思うが、現・十二世市川団十郎の襲名披露を、歌舞伎座に観に行ったことがある。
そこでおおいに感じたことは、やはり東京は、江戸の名残である『粋の美学』の場所だと思ったということであった。

◇観客の熱気がすごいのである。
改めて『市川団十郎』という名前の大きさと、やはり歌舞伎は、その演じられる場によって、相当な差異があることを知ったのだった。
哲学者・和辻哲郎の名著『風土』(岩波文庫版)で説かれているように、歌舞伎は風土によって、場所によって、演じられる狂言が、観客の嗜好が大きく違うようなのである。

◇私は十代の後半から、ちょくちょく歌舞伎を観るようになり、京都の南座へ『顔見世』やその他の歌舞伎舞踊などの公演に出かけた。
もちろん天井桟敷の人々であったが……。

◇それはさておき、私の感じたところでは、京都においては、その風土のせいなのか、観客をしっぽり泣かす世話物=近松門左衛門や岡本綺堂の心中物など=や、鷺娘や娘道成寺にみられるような、華やかな舞踊の方が受けるようである。
それは、観客の大半は中高年の女性が占めることもおおいにあるだろうし、南座の隣に花街の祇園があることも関係しているからであろう。

◇そして劇場のロビーが、アッパーミドルの社交場のような様相もあり、京都という土地柄、雅で幽玄なものが好まれるということが大きいように思える。


◇ところが、東京では歌舞伎十八番にみられるように、『荒事』の方が好まれるようなのである。

◇私が南座へ行っていた頃は、団十郎はまだ海老蔵の名で歌舞伎十八番の『外郎売(ういろううり)』を演じていた。
その当時の私は、まだまだ歌舞伎の観賞経験も少なく、『市川団十郎』という大名跡の継承と荒事への憧憬によって、過度の期待を胸に劇場へ向かった。

◇しかし、その舞台で感動することはなかった。江戸歌舞伎とはこんなものか、それがその当時の私の率直な感想であった。

◇それが東京へ移り住んで十年以上経つと、これが不思議なもので、和事より荒事の方が観たくなるのである。

◇「……御存じの江戸八百八町に隠れのねえ、杏葉牡丹の紋付きも、桜に匂う仲の町、花川戸の助六とも、また揚巻の助六ともいう若い者。間近く寄ってしゃっ面を拝み奉れええ!」
黒小袖、紫の鉢巻、蛇の目傘という好例のなりで助六が登場し、悪人をやっつけるという勧善懲悪の歌舞伎を観たくなるのである。

◇方言の違いということもあろうが、スーパーマンのような助六が悪玉相手に鋭い江戸弁でまくし立て、見得を切る場面を観ると、ついつい"成田屋!"と声をかけたくなるのである。
ああ、これが江戸歌舞伎なんだなあとつくづく感じるのである。

◇やはりこの地は坂東武士の国・江戸という風土であり、町人による大衆文化が花開いた場所だったということなのである。(敬称略)

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