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■第六号■ 世阿弥の序破急 ◇九月のはじめ、私は東京・千駄ヶ谷にある国立能楽堂へ行った。 ずっと前から観たいと思っていた、世阿弥作『恋重荷(こいのおもに)』の公演があったからである。 ◇演者は以下の通りである。 前シテ:山科荘司・後シテ:荘司の怨霊/ 片山慶次郎 ツレ:女御/片山伸吾 ワキ:臣下/殿田謙吉 アイ:下人/大蔵吉次郎 笛:藤田六郎兵衛 小鼓:宮増純三 大鼓:安福建雄 太鼓:金春惣右衛門 ◇あらすじを簡単に述べると、身分は低いが、菊作りの名人で山科荘司という老人が、美しく高貴な女御の姿を一目見て恋の虜になる。それを知った女御は、老人をからかうつもりで、絢爛とした綾錦に包まれた重荷を持って、庭を廻れば、もう一度姿を見せてやろうと、臣下を使って彼を呼び寄せる。 荘司が何度も、その荷を持ち上げようとしても、一向に上がらない。それもそのはずで、重荷の中身は、それこそ重い巌(石)だったのである。 ◇「よしや恋ひ死なん、報はばそれぞ人心、乱れ恋になして、思ひ知らせ申さん」と女の残酷さに、嘆き恨み、荘司はとうとう自殺してしまう。 老人の妄執は、ついには怨恨の鬼となり、亡霊へと変貌し、その女御に向かってさんざん恨みを述べる。そして、その重荷を軽々と持ち上げ、女の肩に乗せて衆合地獄の苦しみ味わわせ、激しく責めるのであった。しかし最後には、怨霊の恨みも和らぎ、自分を弔ってくれれば、これからは守り神になろうと誓って消え去るのであった。 ◇一説によると女御は天皇の第三夫人のことであり、古語において"みる"、"みせる"という行為は肉体関係を暗示するようである。 ◇作家の円地文子は、この『恋重荷』を題材にして、『小町変相』という面白い小説を書いている。 ◇私はその演目を観るのは初めてのことであったが、前場で、シテの片山慶次郎扮する恋に狂う老人の哀れさがよく表現できていて、ふいに涙が出そうになった。 それに地謡座・囃子座ともに苛烈で、白熱したもので、より一層舞台を引き締め、華やいだものにしていた。 特に宮増純三の小鼓が良かった。 ◇またツレの片山伸吾の女御役が良く、動きが可憐であり、装束も絢爛としたもので、これほどの美女がそんな残酷なことが出来るものなのか、と少なからず立腹したほどなのだ。 それほど舞台に感情移入していたということである。 ◇『恋重荷』とそっくりな構成の、世阿弥の作といわれる『綾鼓(あやのつづみ)』という謡曲がある。 ◇やはり身分の低い老人が、高貴な女御に恋をして、鼓を打ち鳴らすことが出来れば、また姿を"みせる"と言われる。老人は、必死に鼓を打つが、綾で作ったものが鳴るはずはなく、悲嘆に暮れた彼は池に身を投げて死ぬのである。 そして怨霊となった老人は、案の定、その女御を責めさいなむのであった。 ◇ただ『綾鼓』と『恋重荷』が決定的に違うのは、『綾−』の方は、怨霊となった老人が愛した女御を詰責したままドラマは終わるということである。 が、かたや『恋−』の方は、怨霊となって女を責めるところは同じであるが、「……これまでぞ姫小松の、葉守りの神となりて、千代の影を守らん」と、最後にはその憤激もおさまり、彼女の守り神になってやると言い捨てて、消えるというところにある。 ◇これは、どう考えてもおかしいのである。 これでは劇の構成は『序破急』ではなく、『起承転結』になってしまうのではないだろうか。 なぜなら、怨霊となった主人公(シテ)がドラマの結末で、その心情を変化させているではないか。 ◇世阿弥は、『申楽談義』や『三道』の中で、"序破急"の重要性についてあれほど述べているのに、『恋重荷』だけは、その掟ともいえる劇の構成を破ったのである。 ◇能において、"起承転結"という言葉を当てはめるのは、おかしいと言われる方もおられると思うが、世阿弥の時代にはすでに『漢詩』は輸入されていた訳であるから、その思想形態はあったのである。 ◇また世阿弥は『能作書』において、"序破急"は五段落構成にすべきだというようなことを書いているけれども、それでも不満は残るし、不自然なのである。 ◇ここで誤解しないで頂きたいのは、私は何も『恋−』を駄作だと言っている訳ではない。 否、=むしろ彼の作品中でも傑作の部類に入るとさえ考えている。 ◇能のドラマツルギーである"序破急"は、古からつづく雅楽から倣ったものであろうが、私の思うところ、世阿弥以前の大和猿楽は結構、曖昧な劇の構成だったのではないだろうか。 つい先日も、古式の『道成寺』を観たが、その印象を強く持った。 ◇『恋−』にせよ、『綾−』にせよ、原作となる『綾の太鼓』という古曲があるという。 ◇私は『綾の太鼓』という能を観ていないし、謡曲本も読んだことがないのであるが、あえて私見を述べさせてもらえば、やはり世阿弥によって、最初に改作されたのは『恋重荷』ではないかと思う。 というのは、先に述べた"序破急"の不具合を世阿弥自身が気づいて、『綾鼓』に書き替えたのではないだろうか。 ◇あるいは、別の見方をすれば、『綾の太鼓』の持つ劇の構成や、劇的な要素を壊すことなく、音曲や詞章を現代風(室町時代風)にアレンジしたものが『恋−』だったのかも知れない。 ◇それに題名も謡曲らしくない。 『恋重荷(こいのおもに)』=何となく歌舞伎や文楽っぽいのである。 ◇無論、それは私の仮説であって、想像の域を出ないものではある。 能の完全主義者で、天才である世阿弥が、自作の謡曲の不備を手直しもせず、放擲するとはどうも考えにくい。それでいたたまれずに、『綾鼓』として、また改作したのではないだろうか。それでも、やはり自信作であり、自分の分身のような『恋重荷』を捨て去ることが出来ず、そのまま現存させたのではないだろうか。 ◇世阿弥が『綾の太鼓』を『恋重荷』に改作したのは、ただ単に古くさかったからであろう。 ◇恋よ恋、われ中空(なかぞら)になすな恋、恋には人の死なぬものかは、無慚(むざん)の者の心やな。 ◇聞くところによると江戸時代には、『恋−』は全然上演されなかったようである。 理由はよく分からないが、男社会である武家の生活において、女にふり回される年老いた男の悲惨な、それでいてお人好しの怨霊が出てくるドラマなど見るに忍びないものだったのかも知れない。 妻女の不義密通が、あれほど喧しく言われた時代なのである。 これも私の想像の産物ではあるけれども……。 『恋−』が再演されるようになったのは、昭和になって、戦後間もない頃のことだという。 ◇私は、そんな謡曲『恋重荷』が好きである。(敬称略) *参考文献:増田正造著『能の表現』(中公新書版) |
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