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■第八号■ 土と火焔と・清水卯一
◇個人的な嗜好を言わせてもらえば、私は陶磁器に関しては、中国・宋代のものが歴代中でも最高傑作だと思っている。
宋代の後にも先にもないのである。
その考えは、そう簡単に変わるものではないと思われる。
◇南宋・建窯『油滴天目茶碗』の地肌に見られる、あの妖しげな、夜の帷につつまれたような濃い藍の色。そして”油滴”というより、夜空の流星群のような風趣を持つ、いくつもの銀色の飛沫。
室町将軍・足利義政が愛用したといわれる『馬蝗絆(ばこうはん)』という銘のある、見るからに冷たそうな色合いなのに、その菊花のような形状によって、それを緩和している南宋・龍泉窯『青磁輪花碗』。
その他にも、いろいろ挙げたいのであるが、本誌の主旨からかけ離れてしまいそうなので、これで止めておこうと思う。
◇安宅コレクション。
安宅英一という人がどういう人物だったのか、私にはまったく分からないが、美術工芸品に対する慧眼は確かなものであり、まさに美にとり憑かれ、美によって滅ぼされた男だったのだろう。
と言って、私は安宅を馬鹿にしているのではなく、陶芸を愛する人間なら誰も彼を嘲笑する者はいないだろうし、尊敬の眼差しを持って見つめていることであろう。
◇私の陶芸に対する歴史は、安宅コレクションから始まったのである。
◇そんな私の嗜好が少し変わったのは、数年前、私用で京都に帰った折り、何年ぶりかで逢った旧友との飲み会にあった。
その友人は、間違いなく宋代の磁器は傑出してはいるが、現代の日本の陶工にも優れた人物がいることを、私に力説したのであった。
◇その名工は、”清水卯一”であるという。
友に教えてもらうまで、清水が人間国宝であることさえ、私は知らなかった。
それほど、国内の、現代の陶芸界に関して無知だったし、まったく関心がなかったのである。
◇あえて言うなら、本阿弥光悦と楠部弥弌ぐらいかも知れない。
しかし琳派の展覧会に行っても、宗達や光琳の絵画ばかり熱心に眺めて、光悦や乾山の陶芸には、あまり力を入れて観賞してこなかったのである。
◇その友人の影響もあって、私は最近、志野焼の”若尾利貞”という陶芸家も注目するようになった。(若尾については、また別の機会に述べようと思う。)
◇この号で取り上げる清水卯一も、青年期には、宋代と李朝朝鮮の陶磁器に深く影響を受けたそうである。
◇九月の終わり、私は日本橋にあるデパートへ行った。
清水の作品が展示された『日本伝統工芸展』が催されていたからである。
◇その作品には、『蓬莱茶碗』という銘がついていた。
色合いは、上品な淡い紫色に仕上がっていたのである。
紫色である。
◇私はこれまで、そんな色の茶碗など見たことがない。
それは洋食器ではなく、紛れもない和茶碗なのである。
◇こういう表現は適切ではないかもしれないが、フランス料理のデザートの苔桃のソースのような色に、真っ白の練乳を少しだけ混ぜたようなまったりとした趣で、それでいて暑苦しくないものであった。
◇形は、長次郎や光悦の楽焼にみられるような、骨太でごつごつとしたもので、清水の作品らしくダイナミックなものであった。
◇清水は、京都の五条坂に生まれ、父親は清水焼の卸問屋を営んでいたそうである。
現在の彼は、滋賀県の琵琶湖の西・蓬莱山の麓に上り窯を創り、作陶に励んでいるようである。
◇そして、湖北で土台となる土を採り、蓬莱山の裾野を流れる安曇川(あどがわ)の河畔で釉薬となる土を採取するそうである。
◇七十歳を超えた今もなお、新しいものに挑戦しようとするその姿勢には、お世辞でも何でもなく、本当に敬服させられるのである。
◇清水卯一は、まさに土と火焔の世界の住人なのであろう。(敬称略)

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