
| ■第九号■ 神の手・吉田簑助 ◇冒頭から、つまらない私事(わたくしごと)をくどくどと述べることに、お許しを願いたいと思う。 ◇私が初めて、文楽を観たのは、それは、純然たるものではなく、宇崎竜童ひきいるロック・バンド”ダウンタウン・ブギウギバンド”とのジョイントによる、浄瑠璃『曽根崎心中』だった。(ダウンタウン・ブギウギバンドなどといっても、今の若い人たちにはまったく分からないでしょうね、きっと) ◇その当時、二十代前半だった私は、同世代の女の子とつき合っていて、彼女が宇崎竜童の大ファンだったのである。 ◇その子に誘われるまま、いやいやであったが出かけたのであった。(彼女にしても、純粋な文楽ファンというのではなく、ただただ竜童を見たいがために行ったようであった。) ◇その頃の私は、歌舞伎の面白さに夢中になっていた時期だったので、人形芝居など、子供だましであり、くだらないものだという観念があったのである。 ◇文楽は、まったくの初心者の私であったが、ロックバンドとの共演ということで、より分かりやすく、科白や語りの部分、物語の筋が簡単に理解できたし、すんなりと舞台に感情移入することが可能だったのである。 ある意味においては、私は幸運だったのかもしれない。 なぜなら、もし、その公演で文楽に対するアレルギーやコンプレックスのようなものが生まれていれば、このエッセイを書いている現在の自分はないものと思われるからである。 ◇スーパーと冠のついた曲芸のような歌舞伎や、狂言師とジャズ・サックス奏者との共演や、能楽師が西洋バレエを謡曲化してしまうことなどをみかけるたびに、鼻白んでいた私であったが、よくよく自分と照らし合わせてみれば、とっつき難いといわれる古典芸能を、まず最初に初心者が触れるという意味においては、彼らの功績は大きいのかもしれない。 ◇吉田簑助は、その舞台でお初の人形を操っていた。 それはもう、人形ではないのである。 まさに、簑助の手から生命を吹き込まれたひとりの女なのであった。 その当時から、人気女形であった坂東玉三郎の持つ色香とはまったく違うものだった。 ◇そこには、簑助の手によって創造された”美”があり、”香”があったのである。 ◇女形と文楽人形の決定的な差異は声なのではないか。 いかに玉三郎が舞台の上で妖艶に女を演じたとしても、その声だけは隠し通せないのではないだろうか。 どこかに男性の”性”が、漂ってしまうのである。 ◇一方の人形は、決して声を発しないから、女の色気や哀しみがより倍加されるのではないだろうか。 義太夫の野太い語りであれ、ロック歌手の語りであれ、人形自身が決して語ろうとはせず、仕草や科だけで表現するがゆえに、より一層の儚さや哀れさを誘うのではないだろうか。 ◇徳兵衛との道行の場面など、ゾッとする悪寒のごときものが背筋を駆り、魔界に魅入られたような色香が、そこにあったのである。 冥府で、楊貴妃や小野小町のごとき絶世の美女に出逢ったような感覚が、そこにあったのである。 ◇徳兵衛役は、吉田玉男が演っていた思う。(記憶が定かではないのと、お初ばかり見惚れていたので、そんな風になってしまった。) ◇それからの私は、本物の文楽を=義太夫節による人形浄瑠璃を=観たくて、簑助の”追っかけ”さながら、たびたび文楽の本場である大阪にまで足を運んだのだった。 ◇そして『曾根崎心中』はいうに及ばず、『桂川連理柵(かつらがわれんりのしがらみ)』のお半や、『冥途飛脚(めいどのひきゃく)』の梅川を観ては、時には感応し、時には憤激し、最後には泪を流したのであった。 ◇この世の名残、夜も名残。 死にに行く身を譬ふ(たとふ)れば。 あだしが原の道の霜。一足づつに消えて行く。 夢の夢こそあわれなれ。(曾根崎心中より) ◇私は最近、吉田簑助は大近松の意志を、現代に蘇らせるために、この世に生まれてきたのではないかとつくづく思うのである。(敬称略) ◇吉田簑助さん、ご復帰おめでとうございます。 □J*美リポート□ ○今週は、面白そうな展覧会や舞台がなかったので、リポートはありません。 それで、ちょっと趣向を変えまして、面白いテレビ番組がありましたので、それをUPしたいと思います。(たぶん再放送されると思います。) ○半月ほど前、たまたま観ていたNHK−BS2の番組で、狂言師の野村万之丞氏が、わが国最古の芸能”伎楽”の源泉を辿るという『アジアの愉悦=幻の伎楽再現=』というのをやっていました。 なかなか興味深いものでした。 ○”伎楽”は聖徳太子の時代、仏教とともに、釈迦を祝祭する舞踊劇として伝播されて、法隆寺に現存する仮面(金剛、力士、迦楼羅、呉女など)を使って演じられたようです。 ○こういう風に書くと、学術番組みたいで堅苦しそうに聞こえますけれども、そうではなく、とても楽しい作り方にしてありました。 ○シルクロードのタクラマカン砂漠から始まって、チベット、長安などアジア各地を巡るという趣向でした。伎楽からは、ちょっとそれるのですが、わが国の『翁舞』のルーツが、中国の少数民族・イ族に代々伝えられている舞いにあるのではないか、という説が面白かったですね。 ○世阿弥は、自分の始祖は秦河勝(はたのかわかつ・中国系の渡来人?)であると言っていますけれども、それを観ていて、満更誇張ではないなと感じました。 ○伎楽はその後、舞楽(雅楽)→田楽・猿楽→能・狂言→歌舞伎という風に変遷して行くと思うのですが、まさしく日本の芸能の根源と言えるものでしょう。 ○NHKのことですから、BS2、総合でまた再放送、再々放送をやると思いますので、その時はまた、この欄でお知らせしたいと思います。(譽) |
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