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□日本の色□

今週の日本の色は、
『杜若(江戸紫)』です。
以下のURLでご覧になれます。
http://www.ops.dti.ne.jp/~azzurri/col2.html



■第二十五号■ 京の女たち・広田多津

◇たぶんに、”広田多津”という女流画家の名前を知っている人はそう多くないと思う。

◇そういう私にしても、十数年前に日本橋のデパートであった展覧会で、はじめて彼女とその作品を知ったのであった。

◇私は、多津の作品は晩年のものが好きである。

◇彼女の年譜を見ていると、昭和三十五年、五十六の歳に離婚したことが、大きな転機になったように思われる。

◇それまでの西洋の抽象画のような画風から、一転して、”広田多津の美人画”へと移行してゆくのである。

◇抽象画を描く前は、明治末期から大正期に花開いた鏑木清方や上村松園のような美人画を多く描いたようであるが、そこにはまだ多津の画風は確立されてはおらず、”模倣”の範疇から抜け出せてはいないのである。

◇彼女にどのような経緯があったのか、私はまったく知らないのではあるが、どちらかと言えば暗い画面構成だったものが、それを機にがらりと変化するのである。

◇これはいつもの私の想像なのであるが、離婚してからの多津は、自分の描きたいものだけを描いたのではないだろうか。絵画の理論や歴史観や技法などに囚われることなく、自由奔放に描いたのではないか。それは、悪い言葉でいえば”居直り”だろうし、良く言えば”一皮むけた”といえるものなのである。

◇私には、それが京都の薄暗い鰻の寝床の家から、燦々と光り輝く表通りに飛び出したかのように見えるのである。

◇多津の美人画は、祇園の舞妓を描いたものが多い。

◇清方や松園のような、ほのぼのとした心持ちにさせてくれるものではなく、どちらかと言えば小生意気そうな女たちばかりなのである。(私が男性であるから、そんな風に観てしまうのかもしれないのだが……。)

◇清方らのそれが、大和撫子の典型のような女性が画面に表出しているのに対して、多津の女は自立しているのである。

◇芸に生きる、というべきかも知れない。

◇そんな中でも、昭和五十年に描かれた『帰路』は傑作である。
豪華な意匠を身にまとった五人の舞妓が、おしゃべりしながら歩いているというにぎやかな図なのである。
毎年、正月五日に行われる儀式の帰り道らしく、彼女たちの声が聞こえてきそうな華やかなものなのである。

◇こういう風に書くと誤解を招くかもしれないのだが、多津の妓たちの多くは、瞼が少し腫れ気味で、目遣いがきつく、つんと上を向いた鼻先、口唇がちょっと厚くて、本当に生意気そうな現代っ娘が、そこには描かれているのであ
る。

◇そうかと言って、女たちは決して不細工ではなく、さわやかな健康美と色香を持っているのである。

◇楚々とした舞妓や芸妓を描いた作品は多々あるが、多津の描く妓は、着せ替え人形のような美しさではなく、そこには、まさに”生”を謳歌する姿があるのである。
多津は、浮世絵の写楽と同じように、女たちの内面さえも描こうとしたのでは
ないか。

◇美人画はいつも、その時代の女性美を写す鏡なのである。

◇裸婦にしてもそうで、骨太で肉感的で、野性的ともいえる”美”があるのだが、そんな裡にも、女性特有のやわらかさを内包しているのである。

◇生前の多津は、祇園の舞妓について、「ただ痛々しく哀れな存在でしかなかったのが、”都をどり”のポスターを描くためにスケッチしてから、そんな思いが一変した」と言っている。
仕事を離れれば普通の女であって、そんな彼女たちに病みつきになった、という。

◇多津は、明治三十七年に、京都の麻織物商の次女として生まれた。
幼少から絵が好きで、十五の歳から三木翠山、甲斐荘楠音、竹内栖鳳、西山翠しょうの門下となり、試行錯誤を重ねたようであった。

◇そして、ようやく晩節になっておのれの絵画を確立したのだった。
多津は平成二年逝去した。享年八十五歳だった。

◇広田多津の美人画は、今でこそ自立する女は当たり前の存在なのであるが、先駆的なものだったと私は考えるのである。



□J*美リポート□

◇今週は書評です。
その書籍は、鈴木日出男著『古代和歌の世界』(ちくま新書)です。

◇その著者は、東大の大学院で人文社会系研究科の教授で、専攻は日本古代文学の研究だそうです。

◇その本を読み、私が面白いなと思ったのは、古代においては、集団の中で人々に謡われる歌謡は、口承文芸として無数に生滅したということでありました。たぶんに、それまでは”歌垣”の要素が強く、男女の贈答歌、あるいは相
聞歌へと変遷して行くようです。

◇そして時代が進み、文明が発達するにつれ、歌風の個性化がみられるというところでした。

◇たとえば、山上憶良と高橋虫麻呂の歌に焦点を当て、
虫麻呂の「上総の末の珠名」の伝説歌(巻9・1738−9)を取り上げ、言い伝えられた人物をいきいきと蘇らせてみせる手腕を、憶良と同様に評価できるものであって、ふたり共、人間の根源的な存在への凝視という点では共通していると述べられておられます。

◇これは私の考えなのですが、虫麻呂は上古の近松門左衛門のような存在だったのではないでしょうか。

◇万葉を研究されている方々に、暴論だとお叱りを受けるかもしれませんが……。無論、その手法も、表現方法もまったく違うのは当たり前のことで、私が言いたいのは、その人物の心情をうまくとらえているということなんです。

◇虫麻呂の歌は、『恋の行方・菟原処女』の章でも述べたのですが、伝説歌が多いのです。
つまり各地に、伝承として残る場所に行き、そして、その主人公に成り変わって創歌するというパターンが多いのです。

◇ですから現代風にいえば、三人称で書かれた悲恋小説のようなものであり、近松の浄瑠璃に近いものだと思うのです。

◇虫麻呂の歌は良いですね。

◇この本を読んでいると、また奈良に行きたくなりました。

◇万葉集と古今和歌集の古代歌に興味のある方はぜひ、オススメです。(譽)

◇『古代和歌の世界』 鈴木日出男著
ちくま新書 ¥660−(税別)



☆J*美・花だより☆

◇最終回の今週は、世田谷区の桜新町です。
桜新町は、サザエさんの町として有名だと思いますが、駅前の商店街から、国道246号までの旧国道に八重桜の並木道になっています。

◇八重桜はソメイヨシノと違って、手鞠が割れるように派手に開花しますから、通りが爛漫とした雰囲気になるんです。

◇なお、八重桜は開花時期がソメイヨシノよりも遅いので、四月中旬から下旬が見頃だと思います。

◇そこも私は毎年、花の季節には訪れています。

◇散歩がてら出かけられてはいかがでしょう。
まだご覧になっておられない方は、ぜひ、一度。☆☆☆

◇『桜新町』
最寄り駅:東急新玉川線・桜新町駅


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