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■創刊号■ 奈良・海龍王寺の十一面観世音 ◇奈良・平城宮跡の東北隣に、海龍王寺がある。 ガイドブックを読むと、ここはかつて右大臣・藤原不比等の邸宅跡で、光明皇后が発願し、僧眩房が開基したといわれている。 ◇私はその寺が好きで、奈良に行くと必ず立ち寄るところなのである 。 六大寺に比べれば規模も小さく、寺宝物も少なく、荒れ果てたという言葉が=隅寺という呼び名が=ぴったりくる寺なのである。 どちらかと言えば花の寺=ゆきやぎな=としての方が、有名なようである。 しかし、それでも魅入られたように、海龍王寺を訪ねてしまうのは、そこにある本尊十一面観世音が、私の心をとらえて離さないからである。 ◇その観音さまは国の重要文化財に指定されていて、時代をずっと下って、鎌倉時代に創られたもののようであるが、傷みも少なく、お顔とお躰はいまだ金色の輝きを失うことはない。 一メートル足らずの小さな仏さまであるが、実にお顔が美しいのである。 少しばかり顔が大きくて、躰とのバランスが悪いのであるが、それでも、その美貌ゆえに、そんな欠点も消し飛んでしまうほどなのである。 ◇私はその観音さまを初めて見た時、正直言って嫌悪した。 色っぽ過ぎる。 それが私の第一印象だった。 その微笑は官能的ですらあった。 ◇だいたい観音さまというものは、慈悲深い眼差しと、そのお躰全体から母性のような"気"を発せられ、懐かしい祖母や母と逢うような印象を私はずっと持っていたからであった。 しかしながら、その観世音は、私の認識を根底から覆すものだったのである。 ◇それは、若かった頃=十代の後半に、好きだった女の子、あるいは年上の女性に再会するような、甘く気怠い雰囲気が醸し出されていたのである。 そんな観音さまが他におられるだろうか? ◇私はそれからというもの、奈良に行くたびに、その寺を訪れ、飽きることなく、その十一面観世音ばかり見ていた。祖母や母に再会するというより、昔の恋人に逢いに行くように……。 奈良には、その観音さまの他にも、すばらしい仏像が=聖林寺の十一面観音や薬師寺の聖観音など=一杯あるというのにである。 ◇哲学者の梅原猛氏の『海人と天皇』(新潮文庫版)という著書に、かつて和歌山の道成寺近くの海岸に、海人の家族があり、その娘で宮子という美しい娘がいたそうである。彼女は美貌の誉れが高く、その噂は遠く奈良の都にまで届いていたという。 それを知った藤原不比等が、その娘を自分の養女にし、文武天皇の夫人として御所に入内させたというものだった。 もちろん、不比等自身と藤原一族の繁栄のために。 もし梅原氏の言説が真実であるとするならば、その後の藤原一族の地位は天皇家との血縁を結ぶことによって、朝廷内においてより強固なものになったのである。 ◇それは口伝として、現代にまで伝えられているという。 それは、そうだろう。 身分制度が確立していた上古において、天皇の夫人が海人の娘というのであれば、天地がひっくり返るほどの大騒動になるのは想像に難くないからである。 伝承以外には、後世に伝える方法はなかったのである。 ◇その十一面観世音は、宮子に生き写しだという。 それは、法華寺の十一面観音が光明皇后に、法隆寺の救世観音が聖徳太子のそれであるという伝承とまったく同じなのである。 もちろん100%信用出来る訳はなく、宮子の霊を慰めるためにそんな言い伝えが生まれたのであろう。 しかし、歴史的なことや政治の暗部は別にして、もし、その観音さまが口伝のように生き写しであったとするならば、宮子は相当な美貌の持ち主であったことは間違いないのである。 文武天皇が一目見て恋の虜になられて、その身分を飛び越え、ご自分の奥方にされたということも、何となく理解できる事柄なのである。 ◇晩年の宮子は、その海龍王寺で過ごし、天寿を全うしたといわれている。 |
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